昨日、山口蓬春さんのお言葉、「心の中の未開拓の部分に鍬を入れる」を紹介させて頂き、自分の体験を踏まえて、今後の人生の在り方について考えさせて頂きました。
今日は、残りの言葉について紹介していきます。
本質を見極める
蓬春さんは、生涯のなかで、大和絵→ 新しい表現の模索→ 蓬春モダニズム→ 写実へと画風の変遷がみられます。
晩年の写実のありかたについて、次のような言葉を残されています。
「最初は見たままの写生。次いで感じたままの写生が、それからさらに進んで知ったままの写生に至る」
見たままだけでなく、感じたままだけでなく、本質を見極める。
これが逢春の到達した境地でした。
この言葉を聞いたとき、
「これ、マインドフルネスの発展段階、そのものやん」(関西弁)
と感じたのです。
次に蓬春さんの言葉と、マインドフルネスの発展段階をあわせてみていきたいと思います。
マインドフルネスの発展段階
昨日、自分自身を知ることが大事だということをお話ししました。
けれども、自分を知る、自分を客観視するって言葉で言えば簡単ですけれども、実際に把握しようとおもうと、なかなか難しいと感じている方も多いのではないでしょうか。
かくいう自分自身も、自分が把握している姿がほんとうに客観的な姿なのか色眼鏡をかけてみてしまっているのかは、定かではありません。
今月より、うつ病の再発防止の一環で、弁証法的行動療法(DBT)の学習をすすめています。
【新品】【本】うつと不安のマインドフルネス・セルフヘルプブック 人生を積極的に生きるためのDBT〈弁証法的行動療法〉入門 トーマス・マーラ/著 永田利彦/監訳 坂本律/訳
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上記書籍のなかで、マインドフルネスの発展段階について分かりやすく説かれていましたので、そこで示されている段階と蓬春さんの言葉をみていきましょう。
第1段階:単純なことに注意を向ける
蓬春さんは、「最初は見たままの写生。」と述べています。
そのお言葉をマインドフルネスに置き換えても、そのまま「何が見えているのか」に気付く練習になるのではないかと思うのです。
書籍では、次のことが事例として挙げられています。
【変化のない些細なこと(物体、景色、写真)を観察する】
このなかで面白いなとおもったことは、
写真を練習台として観察する場合、「正面からみる」、「斜めから見てみる」、「上下逆さまにしてみてみる」ということです。
これは、是非やってみて頂きたいのですが、きっと面白い発見をしてもらえると思います。
第2段階:複雑で変化のある出来事に注意を向ける
蓬春さんは、「次いで感じたままの写生が」と述べています。
これをマインドフルネスに置き換えると、「感情に気付く練習」にあたるのではないでしょうか。
書籍では、次のことが事例として挙げられています。
【変化のある出来事(何かに怒りをおぼえたときの感情反応、人間関係の葛藤の対処法、一人でいるときの感情反応)を観察する】
ここでは、「判断しない」がポイントになります。
ネガティブな感情がでてきたとき、世間一般的に悪い感情だといわれている感情が湧いてきたときに、「悪いことを考えてしまった」と思って自分を否定しそうになるかも知れません。
ここでは、つとめてただ観察することです。ノン・ジャッジメンタルです。
第3段階:自分の感情と、環境の両方に注意を向ける
蓬春さんは、最後に「それからさらに進んで知ったままの写生に至る」としています。
ここをマインドフルネスに置き換えると、「自分自身の心に気づきながら、五感を通して環境を理解する」という状態だと思います。
これは、ひじょうに難易度が高いです。
僕自身、これが出来るようになるまでに、五カ月かかりました。
そして、しょっちゅー、この段階に至れているわけではありません。
体調が悪い時などは、ここまで行けないことがあります。
書籍では、これよりもさらに踏み込んで、次のことが述べられています。
世の中には1つの「正しい」やり方というものはありません。
感情にコントロールされないようにするために、理性的かつ分析的になり、感情を抑えなければならないこともあります。
他方、自分の直感や要求に応じて目指すべき方向を見定めるために、感情に従うことが求められることもあります。
健全な適応力とは、状況や自らの目標に応じて、このどちらかの方法をとるかを選択する能力です。
マインドフルネスになれば、世の中でのこの2通りのあり方を組み合わせることができるようになります。
この境地は、僕自身、到達していません。
休職期間中に、ここまでいけるかどうかもわかりませんが、理性と感情のバランスをとれるようになることを意識していこうとしています。
まとめ
昨日、今日の2回にわたって、山口蓬春さんのお言葉を紹介させて頂きました。
たんにメディアの内容の横流しにならないように、自分の体験を踏まえたブログ記事にしたつもりです。
この記事を通して、なにかを感じとって頂けたならば、とても嬉しくおもいます。
中国では「最近、貴人(きじん)と会いましたか?」という挨拶があったそうです。
その貴人というのは、奇人、変人の奇人ではなく、その人と会うことでよい刺激を頂ける方と会いましたか?ということです。
僕自身、毎日、みなさんのブログを読ませて頂いて、日々、新たな発見、勉強をさせて頂いてます。僕にとっては、みなさんが貴人です!
ありがとうございますm(_"_)m
どうか、これからもよろしくお願いいたします。
それでは、また。
でつノ