こんにちは、仮面うつです。
京都の妙心寺で、写経体験をしてきました。
近年、うつ病に効果があるとされるマインドフルネスでも、マインドフルになるための手段のひとつとして、「写経」がすすめられています。
写経体験を通して、マインドフルになることはできたのでしょうか。
余談をふまえて、体験を振り返ってみます。
- こんなこと、思い当たることありませんか?
- 坐禅で「雑念」がでないようにするのは難しい
- 身体を動かすことで、意外と「雑念」を抑えやすくなる
- 妙心寺で写経体験(約1時間)をしてきた
- 1回の「写経」では”禅の境地”は味わえませんでした
- まとめ
こんなこと、思い当たることありませんか?
早速ですが、みなさんに簡単な質問をさせてください。
- 食卓で食事をしているとき、あなたは食卓にいますか?
- お風呂にはいっているとき、あなたは浴室にいますか?
- 他の人と会話しているとき、相手の話に耳を傾けていますか?
- あなたが、今いる場所は、どこですか?
どうでしょうか?
▶心は、違う場所にいることありませんか?
先ほどの質問に対して、
仮面うつは、何をいってるんだ?😕
そんなの当たり前だろ!食事しながら、お風呂なんて入れるわけないだろ!
と思われた方はいますでしょうか?
その場合、次の質問をしてみたらどうでしょうか?
食事をしているときは、食事に集中できていますか?
食事の最中も、仕事のこと、子育てのこと、家事のこと等、別の事を考えていませんか?
また、相手の話をきいているときは、
なんて返事しようか?と、自分のことを考えていませんか?
どうでしょうか?
この質問は、実は、いまのわたくし、仮面うつそのものなんです(;^ω^)
そして、僕と同じく、思い当たるふしがある人は、
今を生きていないかもしれません。
坐禅で「雑念」がでないようにするのは難しい
そうはいっても、生きていると、あれこれ考えてしまうのが、わたくしです。
雑念をださないようにしようとしても、
”雑念をださないようにしよう”と考える自分
が生まれてきてしまいます(;^ω^)💦
じゃあ、どうしたら、今を生きることができるのか?
坐禅か?
一泊二日の坐禅を経験しましたが、少し坐ったくらいでは雑念はきえません。
むしろ、いつも以上に雑念にとらわれていました(;^ω^)💦
2日目の坐禅中は、意外とすっきりはしていましたが、そこに至るまでに長時間かかっています。
そして、日常生活をおくりながらでは、実現が困難です。
熟練者は例外として、
どうやら、てっとりはやく雑念を消す方法としては、坐禅は不向きなようです。
身体を動かすことで、意外と「雑念」を抑えやすくなる
そこで、最近流行のマインドフルネスでは、雑念をおさえるために、何かに集中するトレーニングが色々と紹介されています。
僕の記事でも色々と紹介していますが、今日は、過去の記事で書いていない手段を紹介します。
それは、
①写経
②ぬり絵
です。
ようやく、今日の本題に近づいてきました。
慣れていないことをすると、 気が付いたら長時間経っていた!
ってことは、ほとんどの方が経験されていると思います。
そうなのです。
慣れていないことであればあるほど、効果は絶大です。
慣れていないことを行っている間は、行うことに集中できるので、マインドフルになりやすいのです。
紹介した、「写経」、「塗り絵」はあまりされていない方が多いのではないでしょうか? 未経験であればあるほど、てっとり早くマインドフルになりやすい方法だと思います(*^_^*)
妙心寺で写経体験(約1時間)をしてきた
そこで、わたくし、妙心寺で写経を体験してきました(*^_^*)
一泊二日の坐禅体験、龍安寺での石庭・精進料理でかなり癒されていた状態でしたが、さらなる幸福感をもとめていたのです。← 欲のカタマリです(;^ω^)💦
妙心寺での写経は、3つのお経のなかから選べました。
①般若心経
②白隠禅師坐禅和讃
③(忘れました)
般若心経は過去にも写経したことがありましたので、今回は違うものの写経に挑戦しました。
妙心寺の一室に、写経部屋が用意されていました。
妙心寺、参拝客は多かったですが、写経は人気ないんですね。
約1時間かけて、写経にとりくみましたが、わたくし以外に写経をしている方はおられず、一人で黙々と集中することができました。
書き終えて時計をみたら、
え?もう1時間たってたの?
という状態でしたので、マインドフルネスとしては一定の効果があったといえるでしょう。
1回の「写経」では”禅の境地”は味わえませんでした
ただ、当日は、禅の境地を味わえたとは思っていませんでした。
かといって、雑念にまみれていたわけでもなく、
写経に集中→ 雑念がわく→ 写経に集中→ 雑念がわく→ ...
の繰り返しでした。
▶写経中に雑念がでてきた理由を振り返ってみる
というのも、今回写経したお経「白隠禅師坐禅和讃」は日本語で書かれているお経のため、写経しながらも書いている内容について考えてしまっていたのが原因だと振り返っています。
その意味では、写経をとおして、禅の境地、マインドフルになるためには、
①日頃、つかうことのない筆ペン
②日頃、書くことのない文章(お経)
③意味を考えようという意識すら起きない、難しいお経
の3点がそろっていることが大事なのではないでしょうか。
▶お経による功徳なのかもしれません
この不完全燃焼のような感じだったのですが、不思議な感覚を感じていました。
「耳なし芳一」ではないですが、身体のまわりをなんらかのベールで包まれているような感じを、写経を終えて、移動している最中も感じていたのです。
写経を体験したのは、人生でも数えるほどしかありませんが、このような感覚を感じたのは初めてでした。
書くことに集中できたという意味で、マインドフルネス的な効果と、お経による功徳?の相乗効果だったのかもしれません。
写経を経験した方は、写経の魅力にはまって写経を趣味にされる方が多いとお聞きしています。それらの方も、似たようなご経験をされているのでしょうか、気になるところです。
まとめ
禅の道は、求めている最中ですので難しいことは書けません。
そのため、マインドフルネス的な観点と、マインドフルになるための手段としての写経の体験レポを書いてきました。
今回、感じた感覚はたまたまだったのか?
本当にこういうものなのか、再確認するためにも、再び、妙心寺を訪れたいなと感じる写経体験でした。
禅寺に参拝される方は、坐禅よりもお手軽な修行体験として、写経を体験してみてはいかがでしょうか?
おわり。
今日もありがとうございました。
それでは、また。
でつノ