今日は、捨てることについてです。
今までの人生を軽く振り返ってみると、
- 健康を維持するために、サプリ等の健康補助食品をとる
- 知識を高めるために、読書やセミナーで勉強する
- 人間関係をよりよくするために、アサーションを学ぶ
- 一旦、勉強した知識は捨てたくない
- 築き上げた人間関係は崩したくない
- 人様からの評価を下げたくない
- 等々
のように、今の自分に満足していなかったり、もっと良くなりたいという思いから、何かを取り入れることがほとんどだった。
そして、一旦、手にいれたものは失いたくないというおもいから、それらのものに執着して、手放したくないという苦しみを抱える。
勿論、健康を維持したり、成長していくためには、こういった事も大事なんでしょうが、本当にそれがすべてなのでしょうか?
そうであれば、なぜ、自分を満足させ、成長させるために手にいれたものに、今度は苦しめられているのでしょうか。
これは何かおかしくないでしょうか?
そんなことを考えさせられることがあったので、ちょっと書いていきます。
キッカケは詰将棋
3月25日、詰将棋解答選手権チャンピオン戦がおこなわれて、そこで藤井聡太六段が史上初の4連覇を達成している。
こちらはニュースでも取り上げられたので、ご存知の方も多いと思います。
▶藤井聡太六段だけが攻略できたラスボス
この選手権大会は、詰将棋に自信のある方々が105名参加したのだが、このなかで、ラスボスと称される難問があった。
そして、このラスボスを撃破できたのが、藤井聡太くんただ1人というのが、聡太くんの凄さをさらに引き立てることになっている。
自分も将棋をたしなんでいる人間として、そのラスボスに挑戦してみた。
問題図を掲載するので、腕に覚えのある人は挑戦してみてほしい。
そのラスボスはこちらです。
ここから、10手すすめていくと、次の局面になる。
将棋をやっている方なら、わかると思うが、飛車(左下にある)という駒はとても強い駒だ。
この局面をみると、左下の飛車(符号でいうと7七飛)と右端の銀(符号でいうと1四銀)が協力して、相手の王様をしとめるのだろうと思っていた。
しかし、ここでの1手は、▲3七飛で飛車をみすみす、相手の角に献上する場所に移動させるのが正解なのだ( ゚Д゚)
これはわからん!
さらに8手すすめていくと、次の局面になる。
ここでも、驚愕の一手が飛び出す。
▲2六馬で、これもまた、強力な攻めごまである馬(右から2列目、上から5つ目にある駒)を、相手の角にとらせる場所に移動させるのが正解だという。
ここからさらに、19手すすめた局面が詰めあがり図となる。
最後は、桂馬、金、歩の3枚で、相手の王様を仕留めている。
元々配置されていた飛車2枚、馬1枚は相手の王様を詰ますための捨て駒だったのだ。
-ラスボスを攻略できた理由を考えてみた
こんなの芸術作品としか言いようがない!
そして、その芸術作品であるラスボスを頭のなかだけで解いた、聡太くんは、凄いの一言に尽きる!
必要だと思う飛車や馬に執着することなく、柔軟に相手の王様を仕留めるための手段の1つとして、飛車や馬を使うことを考えることができたため、唯一正解にたどり着くことができたのだろうと、勝手におもっている。
▶難問でなくても駒を捨てることに抵抗がある
今、通っているデイケアでも、メンバーさんと将棋、麻雀、オセロといったボードゲームを楽しむことがある。
そのなかで、簡単な詰将棋をやったときに、メンバのみなさんが苦しんだ問題がある。
こちらは3手詰めという短手数の問題だ。
これも攻めごまである飛車を大事にかんがえると、3手では詰まない問題なのだが、発想をかえて、「実は飛車が邪魔な駒なんじゃないか?」ということに気付けば、ゴールがみえてくる。
正解は、3三飛成で、王、角、桂が効いているところに、ただで飛車を捨てるのだ。
どれでとっても結果はおなじなのだが、桂馬で取ると、
持ち駒の金を、4三に打つことで相手の王様はどこにも逃げることができなくなり、詰みあがるという仕組みだ。
▶詰将棋が教えてくれたもの
藤井聡太くんだけが解けたラスボス、簡単な部類の3手詰めと難易度は全然違うが、
駒を捨てて王を仕留めるという点では共通だ。
そして、捨てる駒が価値の高い駒であればあるほど、捨てることを考えにくい。
これは、人生でも同じじゃないだろうか?と思ったのだ。
人生を生きていくうえで、地位、名誉、肩書、お金、知識等々。
そういったものも、仕事をすすめていったり、よりよい生活をおくるうえで、大切なものだろう。
しかし、そういった大切なものにとらわれて、より大きな幸せから、自ら避けてしまっているのではないだろうか?
なぜ捨てたくないのか?
次に、なぜ大事なものをとっておきたい、捨てたくないのか?と考えてみる。
▶捨てたくない心理
僕が考えたことは次のとおり。
- 勿体ない
- いつか使うかもしれない
- 自信がない(*1)
(*1)自信がないについて、補足した方が良いと思います。
▶なぜ自信のなさが捨てたくない心理につながるのか?
僕自身、「人に頼ることが苦手」という傾向があります。
その傾向の理由を深堀りしていくと、次のようになりました。
人に頼れない
↓
自分のプライドが邪魔をする
↓
自分が弱い人間だと思われるのがイヤだ
↓
人の評価が怖い
↓
自分に自信がない
↓
子供の頃、親類より「何をやってもダメだ」といわれた経験がある
↓
頑張らないと(成果をださないと)認められないという価値観が芽生えた
↓
人に頼ることは、頑張っていないのではないかと考える
↓
人に頼れない
(以下、ループ)
▶捨てたくない心理の対策
「勿体ない」、「いつか使うかもしれない」については、期限を設けてバッサリ切り捨てることが大事なんだろう。
モノについては、一定期間、使わないと捨てるとしたらよいだろう。
これは実際に、引越しの際にもっていくものを厳選したことで、快適に暮らすことができている♬
とはいっても、引越し当初とくらべると、モノが増えてきていますけどね(;^ω^)
次にやっかいなのが、目に見えないもの、知識、プライドです。
ープライドへの対処法
プライドを捨てたくない理由は、上述したように、「自分が弱い人間だとみられたくない」という先入観が邪魔をしている。
これの対策としては、自己肯定感を高めるしかないのではないだろうか?と考えている。
とはいえ、言葉でいえば簡単だが、どうやって自己肯定感を高めるのか?という問題がある。
これについては、こちらの記事で「褒めることで脳が喜ぶ」ということが紹介されており、自己肯定感を高めるために効果的なのではないかと思い、実践している。
まだまだ、効果を実感できるところまではいっていないのだが、自分なりに「ほめ日記」を実践してみて感じていることを忘れないうちに記事にしてみてもよいかなともおもっている。
ー知識への対処法
知識。
これは場所をとるものではないため、捨てる必要がないと思われる方もいらっしゃるかも知れません。
かくいう自分がそうでした。
これは、もうかれこれ20年近く前のことになりますが、書籍「思考の整理学」を読んだときに、目からウロコ体験をしています。
記憶を頼りに書くので事実とはことなるかもしれませんが、
知識を詰め込むだけでは、「収穫逓減の法則」で伸び悩むことになる。
勝手に忘れていく「忘却」ではなく、臨時的な知識を捨てていく「整理」を心がけることで、頭のなかに本当に大切な知識だけが残っていく。
というようなことが書かれていました。
恥ずかしながら、当時、職場の上司より、
「仮面うつは、整理と整頓の区別がついていない。そこを切り分けて考えるといいよ」
ということを言われており、
「あー、上司の言ってたことはこういうことだったのか」ということをおもったことをいまだに記憶している。
この記事を書いていて気づきましたが、かれこれ20年も前のことを覚えていることが不思議です。
当時の自分にとっては、それだけ目からウロコ体験だったんだと思います。
とはいえ、臨時的な知識を捨てるとはいわれても、具体的にどうすればよいのかは分かっていないんですけどね(;^ω^)
自分なりに、気づいたこと、考え方ことは頻繁にメモするようにしています。
メモすることで、もし忘れても、このメモを見返したらいいやと思えることで、「覚えておかないといけない」というとらわれから脱することができているのかなとも思っています。
書籍のなかに、具体的な方法が書かれているかも知れないので、もう一度、読んでみようかなー。
捨てることで得られるメリットを考えてみる
次に、よぶんなものを捨てることで得られるメリットを考えてみます。
▶気分がよくなる
部屋やトイレ、風呂場などを掃除して綺麗になると、不思議と気分もスッキリすることが多い。反面、掃除できてないときはイライラしてしまいますが(;^ω^)
これと同じように、モノだけでなく、知識、プライドといったものも断捨離することで、気分がよくなるという効果があるんじゃないだろうか?と思っています。
▶学びを楽しむことができる
「思考の整理学」で収穫逓減の法則について触れましたが、不要な知識を処分することで、学びの喜びがふえるのではないのかなと思っています。
あ、収穫逓減の法則について、説明した方がいいですかね。
例えるなら、ゴハンです。
空腹時にたべる、ゴハンは美味しいですよね。
でも、おかわりして満腹になるまで食べていくと、次第に美味しく感じなくなってきて、しまいには苦しくなってきますよね。
それがまさしく、収穫逓減の法則なんです。
お腹が満たされれば満たされるほど、おなじゴハンでも美味しく感じなくなってくる。
▶生きやすくなる
プライド、見栄、虚栄心、他者の評価を求める気持ちこういったものを捨てることで、人生は苦しくなく、今以上に楽しく暮らせるようになるのかなと思います。
宗教の文言を借りるならば、かつて釈迦は
「犀(サイ)の角のようにただ独り歩め」ということを述べています。
学識豊かで真理をわきまえ、高邁(こうまい)、明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め。
八方美人的にすべての人に好かれようとすることなく、「独りの時間」、「優秀な友」とまじわることで、自分らしい生き方ができるのかなとおもいます。
まとめ
今日は、詰将棋選手権を通して気付いた「捨てる」ことの大切さについて考えてみました。
捨てることは惜しいことではなく、
より大いなるものをつかむために必要なんだと思います。
と、捨てることの大切さを書いておきながら、今日も、長文になっています。
僕にとっては、書きたいことを「捨てて」、まとめることが求められているんだろうと思います(;^ω^)
これからも皆さんの記事をよんで、勉強させて頂きます。
これからもよろしくお願いいたしますm(_"_)m
おわり。
今日もありがとうございましたm(_"_)m
それでは、また。
でつノ