「七つの大罪」ってアニメにハマっています(*^_^*)
(画像の引用元)七つの大罪 | アニメ動画見放題 | dアニメストア
先日、Amazonプライムに聞いてみたんです。
おススメのアニメ教えて
って。
で、いくつか教えてもらった作品のなかに、この「七つの大罪」があったわけ。
「七つの大罪」を題材にした作品といえば、昔、観た、映画「セブン」。
後味最悪、食欲なくなる、気分わるくなるで、もう二度と見ないとおもった作品です。
で、このアニメ「七つの大罪」も映画セブン同様、グロいんじゃないか?
と勝手な偏見をもちつつも、描かれているキャラがかわいかったのもあって、見だしたのが運のツキ!
(画像の引用元)Amazonプライム1話のアイキャッチ
- 「憤怒の罪」のメリオダスはじめ、団員、むっちゃいいやつや~ん🎵
- 喋る豚🐽、ホークちゃんがかわいい♬
- 七つの大罪の団員は悪者とおもいきや、じつはイイ連中だった!
と、見る前に感じていた偏見のまったく逆で、今では、ドハマリしてしまっています(*^_^*)
で今日の本題なんですが、アニメをみていくなかで、
七つの大罪って、大罪といわれる程、大罪なのか?という疑問がわいたわけです。
七つの大罪は次の七つです。
- 憤怒の罪(ふんどのつみ)
- 嫉妬の罪(しっとのつみ)
- 強欲の罪(ごうよくのつみ)
- 怠惰の罪(たいだのつみ)
- 色欲の罪(しきよくのつみ)
- 暴食の罪(ぼうしょくのつみ)
- 傲慢の罪(ごうまんのつみ)
たしかに、良くないことであることはわかる。
でも、
これが殺人、強盗、放火、強姦等の凶悪犯罪以上の大罪になってしまうの?
行為の出発点、おもった時点で罪になってしまうの?
と感じてしまうのが正直なところ。
で、この七つの大罪と似たような感じで、仏教で地獄に堕ちる六大原因、六大煩悩、
- 貪(とん)・・・むさぼりの心
- 瞋(じん)・・・怒りの心
- 癡(ち)・・・・愚かさ
- 慢(まん)・・・うぬぼれる心
- 疑(ぎ)・・・疑いの心
- 悪見(あくけん)・・・間違った見解
といわれているものがあります。
この七つの大罪と、六大煩悩の関係性。
そして、なぜ、大罪なのか?地獄におちる要因とされているのか?ということについて考察してみたいと思います。
七つの大罪と六大煩悩の関係性
七つの大罪と、六大煩悩の関係性を示すと次のようになるかなと。
仏教とキリスト教、時代や地域が違っても、似たようなことをいっています。
そして、貪欲については、キリスト教のほうが、具体的な行為(色欲(約束した相手を傷つける)、暴食(食べ物に感謝しない))についてまで言及しているのが興味深いところ。
分類に迷ったのは、「嫉妬」と「怠惰」。
自分が愛されていないと感じることによって生じる、嫉妬。
この嫉妬の発生原因は何なんでしょうか?
本当は愛されているかもしれないのに、愛されていないんじゃないか?他の人と比べて、自分が受けている恩恵が少ないように感じて、愛されていないと感じます。
また、相手を疑ってしまうことによっても、嫉妬がでてきてしまいます。
相手を信じることができない・できなくなったということがポイントかなと思います。
また、愛情以外でも、自分が目標としている人や成功している人に対して、嫉妬することもあるとおもいますが、そこも相手の水面下の努力、工夫を信じず、疑ってしまうことから生じると思いますので、疑いに分類しました。
次に怠惰。
人間は使命(目的)をもって生まれてきているとおもっています。
その使命は、神から与えられたものか、仏から与えられたものか、それとも自分自身で設定したものかはわかりません。
ただ、何かにむかって努力する、成果をだすことに力を尽くすことができる、また達成を喜ぶことができるのは、その使命があるからこそなのではないのかなと感じるのです。
なので、怠惰は、自分でなすべきことをしない。
自分で自分の目標を忘れてしまっているということから、愚かさの罪として、痴(ち)に分類しました。
なぜ七つの大罪は大罪とされているのか?
七つの大罪と六大煩悩について整理しました。
これをみると、人間だれしもが持っている欲望であり、煩悩。
これが大罪であるとすれば、人間はみな等しく大罪人になってしまいます(;^ω^)💦
仏教では煩悩は悟りの縁だと教えてくれているよ
ただ、仏教(密教の真言宗)のなかに、こういう言葉があります。
煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)
wikiをみると、
大乗仏教の概念の一つ。生死即涅槃と対で語られる場合が多い。悟り(菩提)とそれを妨げる迷い(煩悩)とは、ともに人間の本性の働きであり、煩悩がやがては悟りの縁となることである[1]。
と書かれています。
煩悩と悟り(菩提)は、而二不二(ににふに)であり、別物ではないということ。
いうなれば、「煩悩なくして悟りなし」ということでしょう。
色心は不二一体、般若心経で色即是空・空即是色(肉体は仮の存在、してまた、活動をささえてくれているものでもあると解釈しています)という言葉があります。
バリピル宇宙さん(id:uchu5213)がとても分かりやすく般若心経の解説をされていますので、是非ご覧になってくださいね。
さらにいえば、人間だけじゃなく、世のなかすべて陰と陽でできています。
陰陽五行などが有名ですね。
怒りも完全な悪じゃないよ!
怒る(おこる)、怒る(いかる)と対比のようにいわれる言葉があります。
それは、叱る(しかる)。
よく書物等では、「叱ることはいいけど、怒ってはいけない」と書かれているものが多いですが、個人的にはそんなことないと思っています。
怒りのマネジメント、アンガーマネジメントを勉強していたときに、衝撃だったことがあります。
それは、「いい怒り」があるというものでした。
自分が勉強したことに近いことが書かれているサイトはこちら。
行き過ぎた怒りは、悪となり、相手を傷つけ、そしてそれを発した自分自身をも傷つけてしまいます。
が、怒りの感情によって、動機付けができる場合があります。
- 負けたくないという気持ち
- 許せないという気持ち
- 見返してやろうという気持ち
それらを自分のモチベーションにかえて、頑張ることができる🎵
という意味で、怒り=悪ときめつけずに、上手に付き合うことが大事ですよということでした。
憤怒の罪が大罪とされているわけ
そこそこの文字数になってきたので、七つの大罪、1つ1つについてみていくのは省略します。
1つ、命を奪う最も破滅的な罪といわれている、憤怒の罪(ふんどのつみ)について見ていきます。
そのことについて述べたのは、ポンティコスです。
ポンティコスが著した書物(修行論)にはこう書かれているといわれています(ごめんなさい、僕は読んだことがなかったです)。
怒れる者は光をみることができない。怒れるものの祈りは憎悪に満ちている。
と。
アニメ、七つの大罪においても、試練の間で怒りに我を忘れたメリオダスによって、一体が消滅する事態が度々起こっていました。
(画像の引用元)メリオダスが憤怒の罪(ドラゴン・シン)と呼ばれる意味や理由とは?
まさしく、光をみることができない。
盲目になってしまったことによる悲劇です。
そのため、
消滅させた、消滅させるという行為そのものではなく、消滅に通ずる可能性として、憤怒が大罪のひとつとしてあげられていると考えられます。
七つの大罪が罪の理由
ポンティコスの思想そして、歴史をもとに、自分なりに解釈してみました。
- 憤怒の罪⇒ 盲目からの、破滅に通じる
- 嫉妬の罪⇒ 神の怒りをかい、破滅に通じる(神に嫉妬したルシフェル)
- 強欲の罪⇒ 煩悩の炎に身を焦がれる
- 怠惰の罪⇒ 自らの成長・達成感といった真の幸福をえることができない
- 色欲の罪⇒ 約束した大事な方を裏切ることになり、傷つけてしまう
- 暴食の罪⇒ 自分自身の身体を壊す
- 傲慢の罪⇒ 敵をつくり、破滅に通じる(平家物語)
行き過ぎた煩悩は、自分そして他者を傷つける行為であり、破滅につながります。
自分、他者そして社会を破滅から身をまもるために、この7つ(仏教では6つ)を守っていれば、そうそう大きな悪はなさないよということを教える意味で、憤怒、嫉妬、強欲、怠惰、色欲、暴食、傲慢の7つが大罪だと教えてくれているのだと思います。
最後に
最後に仏教の言葉を紹介します。
「あらゆる悪をなさず、もろもろの善をなし、その心を清らかにすること、それが仏の教えである」
七仏通戒偈といわれているものです。
言っていることはわかる。
でも、実行は難しい、そして悪とはなんなのか?が難しいのがこの教えです。
が、今日整理した、七つの大罪と六大煩悩を意識して生きることが、「あらゆる悪をなさず」を実践できることになるのだろうと思います。
人生は、なくせない煩悩との二人三脚です。
これからの人生、その煩悩、七つの大罪、六大煩悩に翻弄されることなく、それらを上手にマネジメントしてつきあっていきたいなと感じています。
おわり
今日もありがとうございました。
それでは、また。
でつノ