昨日、「気持ちの上手なケリのつけ方」として、学んだコラム【自分の目標をイメージしよう】についての要約と感想を書いてみました。
今日は、2本目のコラム【基本は「受け入れる」ことだね。しかし、なかなか難しい】の要点と自分自身の感想を書いていきます。
昨日、今日のコラム記事は、下記雑誌で勉強した内容となります。
基本は「受け入れる」ことだね。しかし、なかなか難しい
ここでは、精神科医・作家:なだいなださんのコラムについて勉強しました。
きれいさっぱり整理しようとするのは間違い
過ぎたこと、心のわだかまり、悲しみ、怒り、恨み、後悔といった感情をきれいさっぱり、整理しなくてはと考えるのは間違いだね。
無理にケリをつけようとしたって、つくものではないんだよ。
森田療法の森田正馬先生が医大で教鞭をとっていたとき、息子さんが23歳でなくなった。愛していた息子の死への悲しみが大きく、気持ちの整理をつけようとおもっても整理がつかず、大学の講義内容をまとめようとしても手につかなかった。
この際に、”最愛の息子を亡くしたのだ、気持ちの整理がつかなくて当然だろう”と「あるがまま」を受け入れることで気持ちが楽になったということを述べられている。
眠るということは、忘れる作業。
いらない記憶をゴミ箱にすてているということなんだ。
ただ、激しい感情のついた記憶をゴミ箱に捨てようとしても、感情の大きさゆえに暴れてしまい悪夢となって目が覚めてしまう。
そのため、いっそう記憶に残ってしまうものなんだ。
だから、忘れられないものだということを受け入れることが大事。
トラウマが大きくどうしようもないときは、「私のキズは深かったんだな」と思えばいい。一生、忘れないぞと思っているなら、「私の執念がどれくらい続くのか記録に挑戦してやろう」くらいの気持ちをもってみてください。
「自分と他人は別だ」ということを受け入れる
一生懸命、育てた相手(子供、部下、後輩等)に裏切られるのは当然のことです。
相手は、自分の思ったようには動いてくれないし、育ててやった程には感謝してくれないものなんです。
手塩にかけた相手が「自分の分身ではない」ことを認められたとき、人ははじめて人間として独立できたといえるのではないでしょうか。
1日分の納得でよいのです
受け入れると一言でいっても難しい。
「受け入れた」と思って、それで終わりというものではありません。
納得は、頭でわかることではありません。体験によって知ることです。
今日1日、受け入れたと思って納得しましょう。
明日、また迷うかもしれないけれども、また受け入れて納得したらよいのです。
とりあえず主義でいきましょう
完全に満足できなくても、納得できる程でなくても、とりあえず今日を生きてみましょう。
完璧主義の方は、完璧を目指してなかなかやろうとしないことが多いですが、おもっている力の7割しかだせなくても、3年も続ければかなりのことができるんですよ。
医者だって、新米の頃は、ベテラン医師の3、4割くらいの力しかだせないものです。それでも、やらせないと身につかないからやって覚えてもらっていってます。
あれこれ考えず、とりあえず目の前のことをやっていきましょう。
認めてもらえない不満にケリをつけるには?
他人と比べないことです。
周囲が褒めてくれないなら、自分で自分を褒めてみましょう。
他人ではなく、自分の出発点をみるようにしましょう。
失敗する場面があって磨かれる
失敗しているうちに、勘所がつかめてきます。
「できるかな、どうかな」という場面をあえてつくって、挑戦してこそ、技術は磨かれていきます。
努力していく過程で、自分には才能がないと思うことがあるかもしれないけれども、「自分にはこの才能がない」と気付けること自体が凄いこと。
がんばったができなかったという結論でも、得るものはたくさんあるんですよ。
たとえば、錬金術(鉛から金をつくろうとした)の失敗のなかから、科学が生まれたのです。この失敗の過程で、酸とアルカリがみつかり、科学の大事な法則がいくつもみつかりました。
最初にやろうとしたことがダメでも得るものはたくさんあるのです。
自分の感想(発表した内容)
上記コラムの輪読後、一人ずつ感想を述べる際に、自分がしゃべった内容です。
日記として記録に残しておきます。
-発表内容-
自分の心がザワついて、なかなか整理、ケリをつけられなくなる原因は、「常識」と「自分の欲望」にとらわれているのが原因ではないのかなと感じました。
森田先生のご子息が亡くなられて、仕事が手につかなくなった事実は、人間として当たり前の感情でしょう。
それを責めるつもりはありませんし、自分自身、二十数年前の阪神大震災で親戚を亡くしたときは、数ヶ月の間、心が落ち着かず、生きる意味、人生の目的について悶々と考えたものです。
しかし、これも、「子供は親より長生きするものだ」といった常識にとらわれていないでしょうか?
この常識にとらわれているから、その常識と異なる事実が起きたときに、心が大きく揺れ動いてしまうのではないでしょうか。
これを否定するのは現実的には難しいでしょうが、心がざわついて仕方がないときは、「自分は常識にとらわれていないか?」ということを自問したいと思いました。
また、「相手は自分の分身ではないということを認める」では、アドラー心理学の書籍「性格は変えられる」の中に書かれていた、”思いやりは甘えの裏返し”という言葉が頭をよぎりました。
親のわが子に対しての教育、職場の後輩、部下を指導するときに、自分の思うように育ってほしいという願望が強くないでしょうか。自分がこれだけ尽くした(思いやり)のだから、相手からもそれだけの見返りが欲しい(甘え)という、ことが自分の願いと反したときに、苦しみを生んでいたんだということを自分の体験を通して、気付きました。
これも、難しいのですが、復職したあと指導、教育する立場になった場合は、見返りを求めずに与えるということを頭の片隅に置いておきたいと思います。
性格は変えられる (アドラー心理学を語る1) [ 野田 俊作 ]
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次に、普段の7割でも良いとするは、7割でも上出来でしょう。過去に読んだ書籍で、「野球のバッターは、打率3割で一流選手とよばれる。10回に7回失敗しても良いんだ」ということが書かれていました。
僕も完璧主義なところがあり、つい100%を求めてしまいがちなのですが、3割、7割でもいいんだということを改めて思い出すことができました。
完璧主義に陥って、その結果と異なるときに自分で自分を責めてしまわないように、「長くつづけて成果をだす」ということを意識してやっていこうと思いました。
Q&A
次に参加者の意見、質問から、このコラムに関係すると思われるものを記載します。
【質問1】
<質問>
「激しい感情は、無くそうとおもっても簡単になくすことはできない」というのがありましたが、この場合の対処法として、「受け入れよう」としても暴れてしまうと思われます。日にち薬しかないのでしょうか?
<回答>
人間の記憶は、睡眠時に作られるといいます。
睡眠時に悪夢をみるのは、嫌な思い出を記憶したことが原因の1つしてあるようです。
また、嫌な出来事だった場合、トラウマになるような出来事が起きたあとは、不眠症に陥ることがありますが、これは嫌なできごとを記憶させないでおこうという、身体の防衛反応だとも言われています。
現在は、激しい感情を抑える薬もでているので、薬と日にち薬の両輪で、対処していく必要があります。
【質問2】
<質問>
「他人と比べず、過去の自分と比べる」というのがありましたが、過去の自分の方が”頑張れていました。
現在、頑張りが効かない自分となっています。
この場合、どういう風に受け止めればよいのでしょうか?
<回答>
過去の自分に戻ることが良いことなのか?
それとも、自分を再構築する方がよいのか?見つめなおす機会なのかもしれません。
最後に
今から13年前に刊行(2005年)された雑誌のコラムをもとに勉強させてもらいましたが、ポイントは「他人のリズムと自分のリズムの境界線を見極める」、「無理に整理しようとせず受け入れる」という2点に集約されると思います。
また、このポイントは昨今、言われているマインドフルネスに相通じるところがあり、名前や表現は違っても伝えられてきていることは同じことなんだなと気付くことができました。
今回の2件の記事は、自分のメモと記憶を頼りに書いているため、元の記事にノイズが加わってしまっていますが、お読みいただいた方にとって何か1つでも参考になれば幸いです。
今日もありがとうございましたm(_"_)m
それでは、また。
でつノ