まさか、自分がウツになるなんて!

43歳男性、会社員(SE)が、仮面うつと診断されるまでの経緯、治療方法、健康回復にむけてやっていることなどを紹介いたします。 自分はウツとは関係ないと思っている方に、是非読んでいただきたいです。

「見えている姿」は客観的な姿なのでしょうか?別の視点を意識すると、いつもの日常が楽しい毎日にかわるかも

こんにちは、仮面うつです。

 

今日は、「見る」ということについてのお話です。

京都観光を通して感じたこと、考えたことを書き綴っていきます。

はい、今日もただの日記です(;^ω^)💦

 

 

龍安寺の石庭をみて何を感じますか?

妙心寺で1泊2日の坐禅体験をおえたあと、龍安寺に向かいました。

 

龍安寺は、世界遺産に登録されている超有名寺院のため訪れたことがある方も多いでしょう。

f:id:kamenutsu:20180507210051j:plain

f:id:kamenutsu:20180507210144j:plain
f:id:kamenutsu:20180507210223j:plain

 

そして、龍安寺といえば、なんといっても下記。 

f:id:kamenutsu:20180507204851j:plain

そう、この石庭が有名ですね。

 

石庭の前にすわって、ぼんやりと眺めているだけで、至福の時を感じれます(*^_^*)

 

▶石、全部で15個みつけることができますか?

この石庭の石、大小あわせて15個の石が配置されています。

ただ、不思議なもので、ほぼどこからみても14個しか見えないように配置されています。

 

ネタバレになってしまいますが、唯一、とある場所に立って眺めると15個の石がすべて視界にとらえることができる場所があるんですよ(*^_^*)

その場所は、あえて書きませんので、訪れたときは、15個の石をすべて見える場所を探してみてくださいね(*^_^*)

 

▶この石庭、どのように見えていますか?

この石庭、配置の意味は謎につつまれており、見る人の自由な解釈にゆだねられているとされています。

Wikipedia先生によると、

・虎の子渡しの庭

・七五三の庭

等と呼ばれているようです。

 

訪れたことがある方は、どのように感じましたでしょうか?

 

僕は、人生を表しているように感じました。

人生平穏無事な毎日を歩みたいとおもっていても、なかなかそうはならないよね、

浮かんだり、沈んだり、平穏な日々が訪れたりと、生きていると大小様々な試練、試練だけでなく楽しみも踏まえて経験してきました。

当時は嫌だな、はやくこの状況から脱したいなと思っていた時期が、あとから振り返ると、自分を磨くための砥石のような存在にもなっていたなー。

 

そして、一見、こういう不揃いでデコボコな石を前にして、心が安らぐ気持ちになるなんて不思議だなーと感じていました(*^_^*)

 

この石庭を前にして、訪れたことがある方はなにを感じたのでしょうか?

抹茶やお酒でも一献かわしながら、感想を語り合いたい気分です(*^_^*)

 

客観的にみているつもり?

龍安寺の石庭にからんで、「見る」ということについて書いていきます。

 

私たちが見ているものは、客観的なものとして見えているのでしょうか?

それとも、人とは違った偏った見方をしてしまっているのでしょうか?

誰しも一度は、似たような疑問をもったことがおありだと思います。

 

ここでは、勝手な意味づけをしてしまう、錯覚してしまう等といった様々な例題を紹介いたします。

みなさん、どういう風に見えるのか1つ1つみてみてくださいね。

▶ブーバ・キキ効果

 まず、1点目はブーバ・キキ効果といわれているものです。

こちらの画像をご覧ください。

f:id:kamenutsu:20180507213142j:plain

この2つの画像には、名前がついています。

その名前は、「ブーバ」と「キキ」です。

ここで質問です。

どちらが「ブーバ」で、どちらが「キキ」だと思われますか?

シンキングタイム

 

どうでしょうか?

左をブーバ、右をキキだと答えた方が多いのではないでしょうか?

これは国籍に関係なく、約9割の方が左をブーバ、右をキキと答えてしまうようです。

 

これは、勝手に「形と音とを結びつけてみてしまう」という共感覚というものです。

これに関連した書籍「怪獣の名は、なぜガギグゲゴなのか」もでているようですので、ご興味のあるかたは読んでみてはどうでしょうか。

怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか (新潮新書)

怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか (新潮新書)

 

 

▶ルビンの壺

つづいては、こちら。

f:id:kamenutsu:20180507214317j:plain

ルビンの壺といわれているものです。

こちらの絵、何に見えますか?

シンキングタイム

 

これは有名なので、簡単すぎたかも知れませんね。

見え方によっては、

・壺にみえたり

・向かいあっている顔

のように見えたりするというものです。

 

絵としては、2つのもの(壺、向かい合っている顔)が同時に存在しているにもかかわらず、わたくしたち人間の目には、一度にはどちらか片方しか見えません。

不思議ですね。

そして、「別の見方があるんじゃないのか?」という視点がなければ、もう片方の見え方は知らないまま過ぎてしまいます。

また、「別の視点があるよ」と教えてもらっても、思い込みやとらわれが強いと、もうひとつの見え方がわかり辛かったりします。

 

これについて、心理学(知覚心理学)では、次のように説明されています。

異なる絵にみえるということは、その絵は外界ではなく、私たちの心のなかにあるということだからだ。

「見る」という行為は、視覚から得た情報をただ受動的に受け入れるということではなく、その情報を主体的・能動的に解釈することなのである。(中略)すなわち、知覚とは、感覚からの情報を解釈し、意味を与える心の働きだといえる。

(引用元)心理学概論(第3章 知覚心理学)

こうして、情報を解釈して、 意味を与えてしまうのが知覚であるならば、反対に意味を取り除いてみてみようとする視点が大事なんだということを教えてくれます。

 

この「ルビンの壺」について、実例をあげて、

同じものを見ていても、その視線が同じとは限りませんことを教えてくれる記事がこちらです。

 

comotenasi.hatenablog.jp

「おなじものを見ているはずなのに、どうもずれてるな~」

「なんでわかってもらえないんだろー」と思っている方、是非、お読みください。

「ルビンの壺」の実践編です(*^_^*)

 

 

▶群化の法則(プレグナンツの法則)

つづいては、こちら。

f:id:kamenutsu:20180507221149j:plain

これは、群化の法則(別名、プレグナンツの法則)といわれているものです。

こちらの絵、何に見えますか?

シンキングタイム

 

はい、ほとんどの方が、〇と◇の組み合わせというふうにみえたのではないでしょうか? 一見、それ以外の見方はないように思えます。

 

しかし、次のように、赤色の線と、青色の線という風にみることもできますよね。

f:id:kamenutsu:20180507221024j:plain

 

この例題の他にも、わたくしたち人間は、

・近い距離にあるもの

・同じような特徴をもったもの

・閉じた領域を形成するもの

・単純で規則的なかたち

・なめらかにつながっているもの

を1つの「まとまり」として知覚しやすいとされています。

 

視覚から入ってきた情報に対して、勝手に一定の法則性を見つけようとしてしまうということを教えてくれています。

 

▶ミュラー・リヤー錯視

つづいては、こちら。

f:id:kamenutsu:20180507221904j:plain

ミュラー・リヤー錯視といわれているものです。

真ん中の直線、上下の図形でどちらが長いとおもいますか?

シンキングタイム

 

これも有名でしたね。

いくら、上下の図形ともに、真ん中の線の長さは一緒だといわれていても、下の図形の方が長くみえてしまいますね。

 

f:id:kamenutsu:20180507222225j:plain

こうして、真ん中の線を移動させていくと、おなじ長さであることがわかります。

 

▶エビングハウス錯視

つづいては、こちら。

f:id:kamenutsu:20180507222345j:plain

エビングハウス錯視といわれているものです。

 

これはお子さんのいるご家庭では、子供と一緒にみてもらいたいです。

中央の円、左右の図形でどちらの方が大きくみえますか?

シンキングタイム

 

これは、右側の図形の方が大きいと見えたかたが多いのではないでしょうか?

これも、実際には左右共に同じ大きさです。

f:id:kamenutsu:20180507222742j:plain

 

ご家族で一緒にやってみてくださいと申しましたが、実は、このエビングハウス錯視。

後天的な影響が大きいようなのです。

小さい子供では、このエビングハウス錯視が起きないということがいわれています。

 

みなさんのご家庭ではどうだったでしょうか?

 

まとめ

今日は、龍安寺の観光日記とあわせて、「見る」ということについて書いてきました。

冒頭で紹介した、龍安寺の石庭の見え方に

「これが正しい」

「これが間違っている」

「この見方がすぐれている」

「この見え方は劣っている」

といった区別はありません。

 

10人いたら10通りの見方ができる。

100人いたら100通りの見方ができる。

 ものだと思います。

 

これはとりもなおさず、「自分がみえている姿がすべてではない」ということを教えてくれる最高の教材なのでしょう。

自分のみている姿は、これが全部なのだろうかと?

いい意味で疑ってみる必要がある。

別の見え方があるのかもしれないという視点をもつことが大切ですね。

 

また、知覚心理学の観点から、「見る」ということは、

客観的にみていると思っていたものが、実は”主体的・能動的にみていたのだ”

いうことも学びました。

 

色眼鏡をかけてみているのが人間である以上、色眼鏡を取り除くことはできないでしょう。

ただ、自分は色眼鏡をかけてみているということを知ったうえで、

別の見方ができないだろうか?

こういう視点をもつと、日頃の見慣れた風景、人間関係が楽しく、あたかもはじめて訪れる旅先のように新鮮な気付きをもって接することができるかもしれません。

 

そんな感じで理屈こきの自分が考えたことでした(;^ω^)💦

 

おわり

 

今日もありがとうございました。

それでは、また。

でつノ