関西で厄神さんといえば、門戸厄神。
ここはほんと、凄いわ!
厄神明王様の御神力を頂いてきました。
御神力という言葉がふさわしいかどうか?わからへんけど、自分のなかではそのぐらい威力を感じたの♬
もっと早く来とけばよかったわーという思いと、この感動を忘れる前に記録に残しておこうというただの備忘録です。
- 先月、門戸厄神に行くっていってたやん?
- 体調がよくなってからなんて言ってられない、もう行こう!
- 特別祈祷を待つ、1時間近くの間にお導きを頂きました
- 特別祈祷で「願いごとを念じてください」をいわれたときに感謝しかでてこなかった自分
- そして帰宅へ
- まとめ
先月、門戸厄神に行くっていってたやん?
先月の記事でも書きましたが、このところ何かに憑かれているんじゃないのか?と思うくらい、身体の調子が悪かったんですよ。
門戸厄神で厄払いを受けたいなとおもいつつ、交通の便が微妙に不便なのと、体調がマシになってから行こうとおもってたらズルズルと一ヶ月近く行けずじまいだったんです。
The先延ばし体質の発動ですよ!
それで、症状がマシになっていたらよかったんですが....(;^ω^)💦
先月から今日にかけても、体調不良がますます悪化しているような感じでね、
①腰が痛い
②左胸が常に痛い(肋骨の骨折か、筋肉の炎症の可能性)
③右胸脇が時々痛む(原因不明)
④深夜に左胸に激痛が走る(異形狭心症の疑い)
⑤時々、息苦しくなる(原因不明)
⑥咳がでて胸が苦しい(原因不明)
⑦時々、身体が気怠くなにも手につかない(原因不明)
と体調不良のオンパレード、悪化の数々がひどく、先月末(9/30)で職場を退職したぐらいなんですよ(´;ω;`)ウゥゥ
休職期間がほとんど残ってなかったしね(;^ω^)💦
体調がよくなってからなんて言ってられない、もう行こう!
こんな感じで身体のあちこちがガタガタやったんですけど、体調がよくなってからなんていってたら、行けないと思って、比較的体調がマシだった今日、2018年10月5日、門戸厄神へ行ってまいりました。
先月の記事に対してのブックマークコメントで、*ぽこあぽこ*さんより、
難しい事だと思うのですが、神社でお願いをするとそのお願いをしなくてはならない状況が作られ続けてしまうのでむしろそれでも生かされていることに感謝し続ける方が感謝したくなる状況への変化があるのだそうですヨ / “9ヶ月ぶりの胸痛再発…” https://t.co/7IWljs2sjT
— *ぽこあぽこ* (@singlikesmile) September 10, 2018
【感謝】することが大切ですよ!ととても大切なアドバイスを頂いていました。
そのため、「”身体を治してほしい”、”状況を改善してほしい”という願い」ではなく、「自分に与えられた使命というか役割を果たすために、動ける身体にしてください」という願いを届けるつもりでした。
でもこんなの表面上の綺麗事ですよ。
本心では、
・少しでも身体が楽になりたい
・少しでも状況が改善しますように
の2点がほとんどですよ。
あと、最近、このブログのアクセス数も悪いんです(;^ω^)💦
1日あたり1,000アクセス前後まで落ち込んでてね、
「約1,000人もの方にみてもらえてる」とプラスに思おうとする自分と、「今まではは2,000アクセス近くあったのに、なんでここまで落ちちゃうんだよー」と今の状況を不満に感じている自分がいたんです。
門戸厄神に向かう道中、そして特別祈祷(壱万円)をお願いした時までは、こんな感じで、「ない物ねだりのオンパレード」ですよ。
ぽこあぽこさんから頂いていたアドバイスが頭の片隅に残ってはいたけど、感謝の気持ちなんて、100中、2か3残ってるかどうかくらいでした💦
特別祈祷を待つ、1時間近くの間にお導きを頂きました
僕が門戸厄神に到着した時間の間が悪かったんでしょうね。
特別祈祷してもらえるまでに、50分程度の待ち時間が発生してたんですよ。
厄年の頃に、何度も訪れていた門戸厄神なので、特に見てまわりたいところも残っていない。
身体も辛かったため、待合所でゆっくりするかーと時間をつぶすことにしました。
年始や節分前に、門戸厄神で祈祷を受けたことがある方はわかるとおもうんですが、待合所って本殿の隣にある、地下の大広間みたいなところで待つじゃないですか?
大勢の人たちであふれていて、ジャガイモの芋洗いのような状態で(;^ω^)💦
今日もそこで待つのかなーと思っていたら、そこは今封鎖してて入れないんだって。
それで1Fの6畳程の和室で待つことになったんだけど、門戸厄神はパワースポットだねー。
門戸厄神自体、門をくぐると凛としたものを感じて背筋が伸びるのを感じるんだけど、今回待つことになった和室も、凄かったよ。
神域に来たような感じで厳粛でありながらも、優しくつつみこまれるような感じを受けたよ。
あと、年末差し迫った平日に祈祷を受ける人もいないんだねー。
待っている間、ほかの参加者が入ってくることもなく、ただ一人、パワースポットを堪能してたんだよ。
また、このパワースポットのなかで、本棚にあった1冊の漫画を読んでたんだけど、これがまた凄かった!
印象に残った文言を引用すると、
人々を救いたいと熱心に修行に取り組む若き道元に対して、師が語られた、
- 禅とはなにか特別な目的をもってするものではない。茶を飲むときはひたすら茶を飲み、飯を食うときはひたすら飯を食うのです。
典座を務める老僧に対して、若き道元が「あなたでなくても、食事の世話をする者は他にいるでしょう」、「あなたほどの人がなぜ、坐禅をせず、書物を読まず、台所仕事をするのですか?」と質問を投げかけます。
- いえいえ、典座職はわたしの修行なのです。どうしてほかの人にまかせることができましょう。
- あなたはまだ、ほんとうの仏道修行というものがおわかりにならないようだ
そして、道元が悟った、
- 目は横に2つついていて、鼻は縦に1つついている。
- ものごとをありのままに見る
という言葉の数々。
はっ、としました。
これらの言葉ははじめて知った言葉ではありません。
禅をかじったことがある人ならば、だれしもが知っている有名な言葉です。
映画「禅(ZEN)」でも紹介されていた言葉です。
さらにいえば、仮面うつの闘病中に取り組んだマインドフルネスでも学んでいた内容なのです。
自分自身、「何もわかっていませんでした」。
自分の都合のよいときにはそれらの言葉を分かったつもりになっていたけど、こうして体調がわるく物事が思い通りにいかなくなったとき、自分の目は、”持っているところ”には盲目になり、”足りていないところ、欲しいところ”にしか目が向いていなかったんだということを気付かされました。
今、身体はあちこちガタがきていて痛み苦しんでいるけど、
それでも五体満足ではないか。
無理はきかない身体かも知れないけど、動けているではないか。
もっと動ける身体は必要があれば与えられるであろう。
今は、今の自分を認めて受け入れて、今の自分でできることをやっていけばいいんだ。
ということに気付かせていただけました。
浄土真宗的にいえば、祈願や祈り、願いといったものは、思った瞬間に聞き届けられているといわれていますが、まさしくそんな感じです。
漫画を読み終えてから、特別祈祷がはじまるまでの間、正座で法界定印を結んだ姿勢で恍惚感に浸っていました(*^_^*)
特別祈祷を受ける前だけど、来てよかったなー。
特別祈祷はもういいけどなぁみたいに感じている自分を覚えています。
↑バチ当たりですね。
特別祈祷で「願いごとを念じてください」をいわれたときに感謝しかでてこなかった自分
待ち時間がおわり、特別祈祷の時間になりました。
結局、僕以外に祈祷を受けるものはおらず、本殿でマンツーマンで特別祈祷をしていただけました。
ほんと文字通り、特別祈祷です♬
冒頭、和太鼓が重厚な音をたてて、部屋中になりひびきます。
この部屋の4隅から反響してきた音の振動で、身体の表面にまとわりついていたモノたちが剥がれ落ちるような印象を感じます。
太鼓の音色を聞きながら、待合室で感じることができた内容を忘れないように、身体に染み込ませたいなぁと感じていました。
太鼓がおわり、読経がすすみますが、読経はほとんど耳にはいってきません。
僕がお経を知らないというのがあるんでしょうが、ただ、ありがたいなーという思いに浸っていたのです。
そんななか、不意に声をかけられます。
「願いごとを念じてください」と。
もう今となっては、願い事はありません。大切な事を気付かせていただいてありがとうございます。という、感謝の思いのみです。
こう書けば、かっこいいんですが、欲深い自分、そう簡単に欲から離れれるわけではありません。
「せっかくの機会、何か願いごとをしとかないと」勿体ない気がする。
で、咄嗟にでた願いが次の内容です。
『世間の常識にとらわれず、今の自分を認め受け入れて、今できることをさせていただけますようにお導きください』
とちゃっかり、願いごとをさせて貰いました。
そして帰宅へ
この特別祈祷がおわったら、身体が楽になっていたんです♬
といえたら、いいでしょうねぇ(*^_^*)
そんな上手くいくわけはなく、身体は辛いままでしたが、
「そっかー、自分はまだそういうことを考えてしまうんだな」と感じる自分をほほえましく感じていました。
でも、不思議なもので、身体は辛いんだけど、精神状態はかなり改善したような感じで、足取りかるくすがすがしい気持ちで帰路についたのでした。
まとめ
身体の辛さ、ブログの不平不満。
そういったものを少しでも取り除いてほしく参拝した門戸厄神。
厄神明王様は、こんな欲深い人間に対しても、導きをお与えくださいました。
ほんと、ありがたいことです。
また交通の便の悪さを押して、門戸厄神へ行こうと決意したのは、先月の記事をはじめてとしてブログやツイッターで知り合った方々のアドバイス、ご支援、お導きのお陰でもあります。
いつもいつも、至らぬ自分を、温かい心で見守ってくださってありがとうございますm(_"_)m
さらに、今日の参拝を通して、先月いただいていたアドバイス、
”生かされていることに感謝し続ける方が感謝したくなる状況への変化がある”に少しは近づけていればいいなぁと感じている次第です。
ソクラテスのお言葉で「無知の知」というものがあります。
自分自身、慢心しやすい人間です。
目標が低い人間はすぐ慢心してうぬぼれてしまうというのが言われています、今日の気づきと逆説になるかも知れませんが、やることはやりつつも目標は高くもって、自分はもう知っているんだ。わかっているんだという慢心を遠ざけるように心がけたいとおもう、21時17分です。
さてと、おさがりの小豆クッキーをいただきましょうかね。
おわり
今日もありがとうございましたm(_"_)m
それでは、また。
でつノ