桶狭間ルートを辿る旅の2日目です。
歴男、歴女の皆さま、ならびに織田信長すきのあなた、お待たせしました。
えっ!?待ってない?
えー、またこの話かよ。
というあなた!
そんなことおっしゃらず、2日目には何かドラマがあったのか?なかったのか?
一緒に辿ってみましょう。
出発前の準備
初日は、休憩しようと思っていた「飴茶庵」が実は駄菓子屋だったというオチで、喉の渇きに苦しめられた1日であった(;^ω^)
まぁ、事前調べしていない自分がわるいんだけどね(;´∀`)
▶水筒を用意
初日の記事にたいして、ぽこさんより、【水筒を持ち歩いてほしい】とのアドバイスを頂きました。
脱水に気を付けて下さいね。水筒を持ち歩いてほしいなぁ(お母さんみたい)秀吉もひょうたんの水筒を持って信長のあとをついて走ったことでしょうね~
アドバイスを踏まえて水筒を用意しました。
気分をあげるためにも、ひょうたんの水筒がよかったのですが、今回、用意したのはこちら↓↓↓
見ての通り、ペットボトル水筒です。
そして、中身は青汁にしました。
道中、喉がかわいたときは、水分+各種栄養+トリプトファン+食物繊維をとれるという欲張り仕様です。
▶2日目のルートを確認
[4]美濃路一休庵の最寄り駅、二ツ杁駅よりスタートです。
うーん、名古屋城でどれだけ遊ぶかによるけど、二日目は、
[5]榎白山神社、[6]名古屋城、[7]円頓寺商店街・四間道の街並みくらいかなーとルートを予習します。
「二ツ杁」駅よりスタート
初日の終着地点、二ツ杁(ふたついり)駅に降り立ちます。
[5]榎白山神社へは、約2.6km。
鼻歌まじりに、てくてく歩いていきます。
榎白山神社までのルートに見どころが多数
目的地まで約34分。
ちと遠いなぁ退屈なんじゃないかな?と思っていたのですが、その心配は杞憂におわっています。
道中、信長攻略MAPには記載されていない見どころが多数あったのです!
▶泰亨車山車蔵
門一面に家紋の数々が張り巡らされた、泰亨車山車蔵です。
ここは、「尾張西枇杷島まつり」で使用される山車を格納している車庫のようです。
山車については、写真でご覧ください。
(画像の引用元)泰亨車−東六軒町 | 尾張西枇杷島まつり|愛知県清須市
▶庄内川を渡ります
庄内川に到着です。
二ツ杁駅をスタートして10分少々ですが、その日は天候がよく、早くも喉が渇いてきました。持ってきててよかった青汁で、喉を潤します。
▶美濃路に合流
庄内川を渡って少し歩くと、美濃路に合流です。
風情ある石碑が気分を盛り上げてくれます♬
▶悲しい恋の物語、清音寺
美濃路を歩いていると、風情ある街燈が目にとまります。
そこは、清音寺(せいおんじ)というお寺でした。
-平家物語を少々
信長から脱線して、清音寺の話を少々。
藤原師長(ふじわらのもろなが)をご存知の方はいるでしょうか?
平家物語が好きな方、相当な歴史好きな方でないと難しいかも知れません。
藤原師長が平清盛によって、尾張の国に流されたとき、そこの村長の娘を寵愛します。
その後、藤原師長が許されて京に戻るとき、形見として守り本尊の薬師如来と白菊の琵琶を娘に残して別れました。
別れを悲しんだ娘は、白菊の琵琶に、
「四つの緒の しらべもたえて 三瀬川 沈みはてぬと 君に伝えよ 」と書き加えて身を投じてしまわれました。
後日、そのことを知った藤原師長は娘の菩提を弔うために、清音寺を建立して、この地を琵琶島と名付けたといわれています。
今、この地は枇杷島(びわじま)となっています。
藤原師長が名付けた琵琶島がいつか字をかえて、枇杷島になったんだと思われます。
-藤原師長の足跡
藤原師長に由来する地名や、場所は、清音寺以外にも色々あります。
実は平家物語も好きな自分は、そのうち藤原師長の足跡を巡ろうとおもっていたので、偶然、清音寺に巡り合えたことにテンションがあがりました♪
▶仏言に出会う
道中、お寺の掲示板で出会った言葉です。
それぞれを引用いたします。
1つめ、お寺の名前を忘れたのですが、蓮如さんの名前があったのでおそらく浄土真宗だとおもいます。
相手を責める、ごうまんな
相手に責められ、さみしくなる
自分を責めて、おちこむ
そんな悲しい私を
そのままうけとめて
つつみこんでくれる教えがある
浄土真宗ならではの、阿弥陀如来様に身も心もゆだねることで安らぎを得ることができるという御教えですね。
2つめ真言宗「養照寺」の言葉です。
起こったことを
自分の人生を
豊かにする出来事で
あったと頂くか
何かの祟りと
恐れるか
祟られるような
あなた 何かしたのですか
こちらは真言宗。
今、映画にもなっている空海の宗派です。
流石、釈迦に八万四千の法門ありといわれるだけあって、1つ目の御教えと全然違いますが、これが同じ仏教というのが奥深いところです。
▶八坂神社
京都で有名な八坂神社、こちら名古屋の地にもありました。
ご祭神は、おなじくスサノオノミコトです。
こちらは、子供の守り神様として慕われているようです。
榎白山神社へ
道中をゆっくり楽しみながら歩くこと約40分、白山神社に到着しました。
この神社は、桶狭間の戦いに出陣した信長が立ち寄って戦勝祈願したといわれており、勝利の返礼に太刀一刀を寄進したとされています。
▶信長が奉納した太刀は拝見できるの?
信長が奉納した太刀を拝むことはできるのでしょうか?
参拝させていただきました。
残念ながら太刀を拝むことはできませんでした。
太平洋戦争時の空襲で焼失してしまったようです。
▶信長名言スタンプ
信長の太刀は拝見できませんでしたが、名言に触れることができました。
ジャジャーン!
名言の紹介と、解説を引用いたします。
【人を用いるの道は、能否を択ぶべし、何ぞ新故を論ぜん】
信長公は、二条城に移られた将軍の護衛役を選ぶ際に当時の有力武将だった佐久間信盛や柴田勝家、丹羽長秀らをさしおいて、木下秀吉(後の豊臣秀吉)を任命した。
信長公は、格式が重視された時代においても家柄・名声より実力を重視した。
当時の前例や常識にとらわれない、先進的な自身の考え方を貫いたと言えよう。
ー名言について考えてみる
信長没後、400年以上たった今でも、年功序列、学歴(当時の名声ということでしょう)、血縁関係(当時の家柄)といったものが根強く残っています。
SONYの創業者、盛田昭夫氏が「学歴無用論」を数十年前に書きましたが、いまだに学歴社会の日本です。
信長在世時は、 今以上にそういった空気が強かったはずです。
そのなかで、こういったものにとらわれず、世間の風潮に流されず、実力主義で秀吉を見出したのは流石、天才といわれるところなのでしょう。
いや、当時は、家柄、名声を重視して実力を軽くみていたら、自分の命が危うい時代だったので、戦に勝ち、自分の身を守るためにも、実力主義でいく必要があったのかもしれません。
今の日本で、いまだ年功序列、学歴、血縁関係が重視されているということは、実力主義でいかなくても、命の危険がない、安全で平和な国になっているということの裏返しなのかも知れません。
そう考えると喜ぶべきなのかも知れませんが、若くして才能豊かな方、才能を発揮できずくすぶっている方にとってはもどかしい世の中なのでしょう。
なかなか難しいですね。
と、結論をださないまま終わります(;^_^A
▶お清めの御砂を頂戴します
お土産に「産砂(うぶすな)の清砂」をいただいてきました。
3月21日は祝日でお休みなので、自宅の掃除とお清めをしたいと思っていましたが、悪天候のようなので今度の週末かなぁ。
うちは、マンションなので、玄関とベランダを掃除して御砂で清めさせていただこうとおもっています。
つづいて名古屋城へ
続いて名古屋城です。
榎白山神社から、約1.7km。
時刻は11時30分、名古屋城への道中、よさげなお店があれば、昼食をとろうとおもいながら名古屋城へ移動しました。
名古屋城への道中、名古屋城での出来事については、別の記事で。
▶次回予告
- ギリシャ料理のお店に惹かれる
- 一見の価値あり、名古屋城本丸御殿を写真で紹介
- おやつで「味噌アイス」を食べてみた。味噌コーラとどっちが美味しい?
つづく。
今日もありがとうございましたm(_"_)m
それでは、また。
でつノ
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