だりあ(id:ry6jf8kc)さんのブログから、心の処方箋を頂きました。
僕にとって、処方箋となった言葉です。
自分の意思で決めたことはかならずあなたの栄養素になる。
この言葉の詳しい内容は、下記をご覧ください。
この言葉は、みた瞬間から、
あ、これは、今の自分に必要なことや
と感じた言葉です。
今日は、この言葉について書いてみます。
プライベートと仕事では、別人になっていた自分
自分自身、プライベートでは、O型の性格をいかんなく発揮して「やる時はとことんやる、そうじゃないときは超ダラダラ」という生き方をしています。
ただ、仕事をする時は、別のスイッチがはいります。
【仕事なんだから中途半端なことはできないぞ、頑張って自分で納得のいく成果をあげよう】となります。
職場の方からは、
仮面うつさんって、A型だよね。
いやいや、この姿は職場だけだよ。O型なんでON/OFFは激しいよ。
といったやり取りをすることも多かった程です。
▶A型的な考え方をするようになったキッカケ
以前の記事のどこかで書いていますが、自分自身、1995年の阪神淡路大震災を経験して、自分が生き残った意味を考えました。
考えつづけた結果、
【自分の命は与えられ、生かされている命だ。与えられている命ならば、他人様のお役にたてるような人生を生きるようにしよう】
と思うようにしました。
こう思うことで、自分が生きていることに意味合いをつけたのです。
また、震災から十数年後に、自動車事故で、乗用車が廃車になるようなことも経験していますが、そこでも奇跡的に、むち打ちだけで済んでおり、あらためて上記、意味合いをかみしめたものです。
そして、
「やはり、自分には何かやりとげる使命があるのかもしれない、神様から期待されているのかもしれない」といった、うぬぼれと宗教ちっくな考えに陶酔していたのです(;^_^A
認知療法で自分自身の振り返りを行っています
仮面うつ病になるまでは、この考え方が悪いなんて、これっぽっちも思っていませんでした。
これが自分の生きる道なんだと(;^ω^)
▶これって偏った思考じゃないの?どうやって改善しようか。
この病気になってから、認知療法で「休職に至った経緯の振り返り」を行うと、この考え方が”自分で自分を追い詰めて苦しめていた”という風におもえるようになってきました。
自分の力量をMax100%として、70~80%程度のチカラで成果をあげれるならば、なんら問題はないでしょう。しかし、僕の場合、もっとできるはずだと思って、
常に全力投球、常にホームランを狙っていたのです。
こんなのが長続きするはずがないですよね。
ただ、これが自分を苦しめている原因の1つだと知ってから、ホームランではなく、ヒットをうつようにしようと思っても、なかなか手の抜き加減が難しく、なかなか楽になれる方法を見いだせずにいました。
心の処方箋との出会い
この時に、心の処方箋に出会えたのです。
再掲します。
自分の意思で決めたことはかならずあなたの栄養素になる。
これはありがたいお言葉でした。
20数年前に考えたやり方が、偏っているとは思いつつも、それを手放してしまうと、過去の自分を自分で否定してしまうような感じ、単に横着して楽をしているだけなんじゃないのか?といった思いがよぎり、なかなかその考えから自由になることができなかった自分。
▶過去の自分を否定せずに受け入れやすくなった
だりあさんの意図とは違う解釈かもしれませんが、
「過去の考え方も、自分にとっての栄養素になっている、無駄ではなかったんだ」
と言ってもらえた気がしたのです。
これは、言葉ではうまく表現できないのですが、自分自身、とても楽になれたのです。
▶これからも試行錯誤するだろうが、それらも自分の栄養素なんだ
過去の自分を認めて、許せるようになったあとは、未来への対処です。
この処方箋は、キズの癒しだけではなく、キズを未然に防ぐことにも役立ちました。
現在、通院しているクリニックで、集団認知行動療法グループ、マインドフルネスグル―プに参加して、「考え方の幅を広げるトレーニング」と「今の自分を受けいれて、客観的に見るトレーニング」を行っています。
この2つも、うまくできるようになりたいと思いながら、なかなか思い通りにはいかず、試行錯誤を繰り返しながら、自分の実力を上げていってます。
また、将来、復職した後も、仕事、人間関係等様々なことで悩み、苦しむかも知れません、いや、人間である以上、きっと悩むんでしょう。
今、やっている試行錯誤、将来やってくる悩み、それらもすべて無駄にはならず、自分にとっての「栄養素」になるんだと思えば、人生をゲームのようにとらえて、気楽に楽しむつもりで取り組むことができると思うんです。
集団認知療法でアドバイスを頂いた
自分自身、どうしても頑張りすぎてしまうところに対して、どうしたら良いのか?集団認知行動療法グループで考え方の幅を広げるアイデアを頂いてきました。
老若男女とわず、10名近くの方から貴重なアドバイスを頂けました。
これらのアドバイスについて、振り返りは不十分なのですが、今日のテーマにも関係しており、なんらかの参考になればと思い記載いたします。
- 逃げるは恥だが役に立つ(頑張ることは合理的ではない、戦力になるまでは休むことが大事)
- 相談すること、助けを求めることは逃げることではない。
- この考え方はしんどくないですか?力の抜き加減が難しいなら力を抜いても命をとられるわけではないと思ってみたらどうですか?フットサルの選手は、60%のチカラで試合に臨み、40%の冷静さを残しておくといっている。
- 先行きの不明から、不安が増大することも多い、仕事の優先度と、いつまでなら大丈夫か?というリミットを確認しておくことが大事。
- リーダだからといって一人で抱え込む必要はない、自分には無理だということを宣言するリーダでもいいと思う。かえって、人間くさくて信頼できる。
- 日々の仕事に追われていなかったですか?目の前にあることだけをやってみては?
- 人間は一人で仕事をしているんじゃない、助けてくれる人はいます。
- ヒットをうつのでも難易度は高い、進塁打でバントでもいいじゃないですか。
- 心配事の97%は起きないといわれている。考えすぎもよくない。
- 他人を信用していますか?みんなと一緒にやろうと考えていましたか?
まとめ
自分で言うのが恥ずかしいのですが、うつ病、躁うつ病、統合失調症、不安障害等々、精神疾患で苦しんでいる方は、本来、「真面目」、「やさしい」、「繊細」、「責任感がある」、「几帳面」といった良しとされる性格が行き過ぎてしまった結果、心身の不調にでてしまっているのだと思います。
せっかく、素晴らしい性格をもっている方が苦しんでしまっているのが残念で勿体ないです。
世間一般では、頑張ろう、精一杯やろうといわれています。
それは正しいのでしょう。
しかし、精神疾患で苦しんでいる方は、不真面目になってもいいんじゃないですか。
真面目すぎて、苦しんでいるのだから、不真面目になろうとするくらいで、普通の方の真面目になるんじゃないでしょうか。
また、不真面目になることで直面している問題から距離を置くことができます。
距離をおくことで、冷静な自分を取り戻すことができます。
また、客観的に局面をみることができるようになると思うのです。
人生に無駄なことは何もありません。
人生で経験したこと、自分で考えたこと、不真面目に生きようとしたこと等々、自分で決めたことはすべて自分の栄養素になっていきます。
だれの人生でもない、かけがえのない、自分ひとりきりの人生をおくっていこうと思います。
おわり。
今日もありがとうございました。
それでは、また。
でつノ