仏教の一宗派、曹洞宗の開祖である道元は、存在と時間について、過去・現在・未来というが、過去、未来というものはない。今、ここで生きている自分という存在がすべてだ。現在だけがすべてなのだ。過ぎ去った過去や、いまだ訪れていない未来のことについて思い悩むな。
といったことを著書:正法眼蔵のなかで述べている。
10年近く前、はじめて読んだときはいくら読んでも、書いている意味が全然わからなかった。
過去や未来にこだるよりも「今、現在」に意識をむけることの大切さはわかるが、だからといって、過去・未来がないことにはならないのではないのか?
本能のおもむくままに今のことだけに注力して、生きることができれば過去や未来といったものはないのかもしれないが、それではこの世の人生を生きていくうえで生きづらく、なんらの成長も見込めなくなってしまうのはないのか?といったことを考えていた。
そして、著名な坐禅の僧侶の指導をうける機会があり、上記、文言の意味と身体の感覚について尋ねた。
禅僧の回答は、まず、言葉での回答ではなく、手のひらと手のひらを1回たたき合わせて、パチンと音をさせた。
それから、今、音が聞こえましたか?
その音は、耳で聞こうと意識して聞きましたか?手のひらと手のひらがたたきあわされる音だと意識して聞きましたか?そうではなく、勝手に聞こえたんじゃないですか?そして、一瞬音がなったあとは、静かに消えていったでしょ。手のひらをたたき合わせた一瞬音がしただけでしょ。というのが回答であり、回答を聞いてもますます意味がわからなくなっていっていった。
その後、数年たって、今年からマインドフルネスを行い、”いま、ここ”に意識をむける練習をはじめている。
いまだ、練習生の状態であり、えらそうに書ける立場ではないが、次第次第に、今ここの、音、臭い、味わい、気分、感情、筋肉の感覚を意識できる回数や頻度が高くなってきている。
人生の幸せや価値、クオリティといったものは、なにかを創造することによって、得られるものであり、日々の研鑽によりクオリティを高めていくことが必要であると考えていたのだが、マインドフルネスの実践により、”今、ここ”に意識をむける頻度が高くなってくると、何もしていない状態、何も生み出していない状態が、幸せな状態なのだ。幸福を享受できる状態なのだということを感じることができるときがあり、うれしい気持ちになることがある。
またその幸せな状態にいるときは、過去のことを考えてしまったり、未来のことを考えたりすることがほとんどなく、”今、現在”に立脚できていることが多いのだ。
また、”今、現在”に意識をむけているからこそ、自分の考え方のパターンや性格傾向に気付けることができている。
<自分の考え方>
・「~しなければならない」といった自分で自分を追い込む考え方
・「うまくしゃべりたい」、「きちんと仕事をこなしたい」といった「他人によく見られたい」という欲望
この自分の考え方を知ることができたのは、あれこれ考えることなく、今の自分の状態にフォーカスして観察することができた成果だと感じている。
そのため、読書で知識を蓄えることや、思考をめぐらせて失敗を防止する計画を考えるのは、自分の性格、考え方のパターンを知ったうえで行うのがよいのであり、自分を知らずして、他人の知恵への頼りや、あれこれと考えるだけでは、役にたたないのだということが腑におちた気がしている。
あぁ~、孫子が書いていた、「敵を知り、己を知れば百戦危うからずや」ということはここにも当てはまることに気付き、さらに嬉しい気持ちになれている。
いまだ未熟者であるため、断言はできないのだが、道元のいっていた「過去、未来はない。いま、現在だけに意識を向けていきることがすなわち悟りなのだ」ということについて、マインドフルネスとつながる点が多い気がしており、長年の謎がとけたようでうれしい気持ちになっている日々である。
それを気付かせてくれた、体調不良やウツ病万歳である!